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FAVORITE CAT

MY CAT EPISODE
皆様からお寄せ頂いた、愛猫との出会いのエピソードを集めました。
完全保存版のため、こちらには投稿出来ません。


FANORITE CAT

きみは・・・
だまって こちらを見詰めている
キラリと光る 緑色の瞳
思い切った様に スックと立ち上がり
1つ大きく伸びをする

前脚を 長く伸ばし
しっぽを ピンと高く掲げ  
音も無く 歩き始める
まぶしそうに 鼻をひくつかせ
ヒゲを フカフカと 揺する

得意そうに 胸を張り
目的地は 別の所 と言わんばかりに
体をかわし...  通り過ぎて行く
僕のお気に入り


 ◆ Pastel様とモモちゃんの出会い    ++ nyagucat  

 
 
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2003年の7月 突然 家の小屋に
猫の赤ちゃん(トラ柄1匹と白猫数匹)がいました。
もちろん親猫もいたので
しばらくは小屋にいたのですが
動けるようになると違う所へ行ってしまいました。


その後 少し大きくなると
親猫と一緒にトラ柄の仔猫と白猫の仔猫(後のモモです)が
よく家に来ていたのですが…
いつのまにかモモだけが来るようになり
飼う事になりました。


飼うと言っても
最初は懐いてくれなくて
近づくと逃げて行くので凄く大変でしたが
徐々に慣れてくれて我家の家族になりました。


最初はミーと仲良くしてくれるか
心配でしたが

仲良く?してくれてます。


モモは女の子ですが、とってもやんちゃです♪
いつまでも元気でいてね!

写真は

左  まだ慣れていない頃
右上 赤ちゃんの頃
右上 最近のモモちゃん 


..2005/10/27(木) 14:07 No.80





 ◆ るるこびっち様とくぅたくん&しぃたくんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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実家を出てとーちゃんと暮らし始めてからずっと、
猫と暮らしたいなぁって思っていました。


2000年、当時の知人から近くの病院で
里子のお世話をしていると伺い、
今度女の子がきたら是非に、と頼んでおきました。
初めての猫親でしたから、
<一匹がいいかなぁ?ちっちゃめの女の子がいいかなぁ?>
と、何の根拠もなく(苦笑)考えていました。
知人が好みにぴったりの子が来たというので、
早速とーちゃんと一緒に病院へ逢いに行きました。


「はじめまちて〜」 と、スタッフさんと一緒に現れたのは
2ヶ月ほどのキジトラちゃん。明るく物怖じしない女の子でした。
女の子なのに「ツナキチ」ちゃんと呼ばれていたその子、
とーっても可愛いんですが、なぜかピンとこない・・・・・


そのとき、そんなるるの気持ちを見透かしたかのように
他のスタッフさんが奥の扉から
「こっちにもボク達がいるのだぁ〜」と言いながら、
白い塊とグレーの塊を抱えてきました。


同じ2ヶ月程度ながらツナキチちゃんより一回り大きい、
チャコールグレーにシルバーのティッピングが入った子、
真っ白に淡ーくシャム様の8ポイントが入った子。
(まだその頃は9ポイント目は気付かず(爆 )
シャイな子だぁ〜!あまりの可愛さに目が離せない!
どうぢよう?どっちか選べない!(まだ一匹、と考え中)


追い討ちをかけるように先生の一言。
「ボクたち、ずーっと一緒にいた兄弟なの。いつも一緒に
 サッカーもしてるんだよ。一緒のおうちに行きたいなぁ!」

だめだぁ〜。メロメロだぁ〜。


振り返ってとーちゃんに聞きました。
「二匹でも・・・いい?」
「るるちゃんがもう決めたんでしょ?良いんじゃない?」
やったぁ〜〜〜〜♪

「それでは、今ちょっとうんちがゆるいので、
 少し様子を見て、注射もして、GW明けにおうちに、ね?」
というわけで、兄弟何匹かで里子に出された
”売れ残りちゃん”二人が、我が家の子となりました。
女の子が一匹って言ってたのに、男の子が二匹。
運命の前には初めの心積もりは結局、無に等しいです。(笑


二人を迎える間に一生懸命名前決め。
どうせ一緒にもらうんだからとペアになる名前を考えていました。
る「のりお・よしお・・・マッちゃんハマちゃん・・・」
と「何で芸人なんだぁ〜」
る「チョコとバニラ・・・しっくりこないなぁ」
と「四一・九一(しっぴん・くっぴん)!だはは」
る「親のカッパギってか。それいい!決定! がはははは〜」
と「白のしっぴん・黒のくっぴんとこじつけられるしな!」


勢いで決定。オイチョカブかい(^^ゞ・・・
花札のオイチョカブでは、親が4と1または9と1の札を引くと
子の札の出目は関係なく親の総取り(カッパギ)となるのです。
親にも幸せが来るね。って(笑

そんなわけで我が家に来た天使たち。
本名は 九一と四一なのでした〜


..2004/11/15(月) 11:06 No.79





 ◆ ぶーやん様とぶーちゃんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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彼女の名前はぶー、ぶーちゃんです。
年齢不詳のおバアちゃん猫です。
我が家へ来たのは1999年の梅雨時頃だったと思います。
裏庭に太った野良ちゃんの猫が住みつきました。

ウチは父が猫大嫌いなので、居ついては困る…
ましてやお腹に子供が居るんじゃない??
生まれてはなお困ると思って
何度も何度も『ウチはダメだよ!!』と追い払おうとしたのですが
私や母の顔を見ると『ニャー』と真ん丸い顔で必ず近寄ってくるので
すぐ愛着を覚えてしまって
『おーい!ぶー!!ぶーちゃん!!』と呼ぶようになりました。

すると彼女も『ニャー!』といつも返事をして寄って来るので
そのまま名前はぶーに定着!!
少しづつご飯をあげるようになって
秋にはもうぶーちゃんは庭の居候猫として一緒に、生活していました。ちなみに子猫は生まれませんでしたけどね、3年半待っても(笑)。

ぶーちゃんも決して家の中には上がってこようとせず、
入れても落ち着かない様子で
終生裏庭などウチの敷地内で暮らしました。

あんなに『ニャー』と人懐っこい猫だったのに、
慣れてきてご飯もちゃんともらえると分かったからか(?)
その後は、さほど忠実に お返事もしなかったなぁ…
だまされたかしら?!(笑)
意外と人見知りで、淋しがりやで、寝てばかりで
食いしん坊で、運動嫌い…
そしておデブのぶー…。
飼い主にそんなに似てなくてもいいんだけどなぁ…(汗)

私は飼い主さんとしては良い飼い主にはなれませんでした。
そんな生活から、私は少しづつ家の中に入れようとしていた矢先の
2002年12月25日 突然、病死してしまいました。
突然じゃなかったのかも知れないけれど
病気に気が付いてあげられず
病院にもちゃんと連れて行ってあげられなかった。
今でもとても後悔しています。
クリスマスに特別ごちそうもあげなかったし…。
最善をつくしてあげられなくて申し訳ないと…。

すぐに荼毘にふして、暖かい春先、庭先に埋めてあげました。
私の誕生花でもある
木いちごを墓標代わりに植えて
夏には僅かだけど美味しい木いちごも収穫できました。
今ももちろん元気に育っています…ぶーちゃんの木いちご。

たった3年半だったけれど
私にはとっても大事な思い出をもらいました。
猫嫌いの父もぶーちゃんには根負けして
時折話しかけたり、ご飯をあげることもありました…。

写真はボロボロになるまで使い古した
大〜好きなおかめ納豆の箱でご満悦のぶーちゃんです。


..2003/10/25(土) 16:37 No.78





 ◆ 猫まねき様と魂羅ちゃんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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ちょうど1年前、軽井沢の林の中で
タマラと出会いました。

8月22日(母の誕生日)の夜、
レストランで食事をしようと車で向かう途中
ウィルスで目が開かなくなった子猫が
ふらふらと私達の車の前に出てきました。
そのまま反対車線の方に歩いていこうとしているけれど
そこへ向こうから車が…!
急いで車から降り、対向車を止めて
子猫をヒョイと抱えて車に連れ込み
とりあえず家へ戻りました。

でも、子猫は改めて見れば見るほど重篤な状態で
ニャンとも鳴かず、もちろん缶詰にも反応しないし
抱いているうちにも どんどん冷たくなってゆくので
急遽 その時間でも連絡が取れた病院へ向かいましたが
「3日間が山です」といわれ、即入院となりました。
「もし連れて来るのが明日になっていたら
自然淘汰されていたでしょう」ともいわれました。

その時じつは
タマラは生後2ヶ月くらいになっていたのに
ネコパンチの掲示板に
「生後1ヶ月くらいの子猫を保護しました」
と書き込んだほど、貧血と栄養失調と脱水症状で
やせた小さな子猫でした。

それから1週間は、何度も「山」や「峠」がやってきて
眠れない日々が続いたものです。
結局1ヶ月間も入院していたのですが、
そのうち みるみる『火の玉魂羅』の頭角を現しはじめ
(当時はまだ『名無しの“ミケたん”』でした)
退院するころには、病院の室内運動場の壁を
2メートルもよじ登れる子猫になっていました。

じつは当初、うちでは飼えないと思い
病院を退院するまでに里親さんをみつけようと
新聞に募集広告まで載せてもらったのですが
内心「里親さんが見つからなければいいナ…」と
思うようになり、そこへ母が
「誕生日に出会ったことに運命を感じる」
と言い出したので、すぐに新聞社へ報告して
うちの子決定と相成りました♪


<後日談・名前について>
うちの子に決まったからには名前を…と
1週間近く考えた末、一度は 大好きなハワイの地名
『カハラ』という名前をつけました。 でも、
2日くらいそう呼んでいても どうもしっくり来ないので
アール・デコの巨匠『タマラ・ド・レンピッカ』から
名前をいただき、『タマラ』と改名したのでした。

そのことをネコパンチで報告したとき、
ああしゃん様がレスで「カハラ=火腹」
「タマラ=魂羅」と文字遊びをしたことから、
あまりにも“族”っぽい性格にピッタリだったので
別名が『魂羅』になったわけです。
その後、にゃぐ姐さまが
『火の玉』の肩書き(?)までつけてくださって…
さらにハクがつきました(笑)


..2003/08/25(月) 13:48 No.77





 ◆ とりこ様と雪の下ちゃんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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雪ノ下は、私のバイト先の会社ビルの裏手にあるアパートの駐車場で
飼われている野良ちゃんの子でした。

毎シーズンごとにそこでは猫が生まれ、大半は育ちません。
交通事故だったり、病気だったり。

私はどうにかしたいと思いつつ、腰が引けて居た所で、
2003年6月30日に雪と出会いました。
雪は目やにと鼻水まみれの顔で、お母さんからも離れて
おうち代わりの衣装ケースの中でじっとうずくまっていました。
お顔が!と思ったのと、また風邪で死んじゃうのかな。
そう思いました。

でもうちにはヨダレも楓も居るし、どうしようもない?
と思って動けなかったところ
そのアパートのおばあさんが出てきて言いました。

「可愛いでしょ?今年生まれたの」
「可愛い子ですね。風邪ですか?病院には連れて行かれないんですか?」
「この子達は野良だからね。風邪も引いちゃうのよ」

野良でも、おうちの前でえさをやってるなら
飼ってるのと同じだと怒りが爆発しそうになったとき
今度はこういわれたのです。

「(雪を抱き上げながら)この子も、もう駄目かな」

怒りが、爆発したようでした。
私は猫好きそうだから連れて帰ったらどうかとか
先住の猫ちゃんと相性が悪かったら、戻していいからと
怒りの中で言われるまま、私はキャリーを借りて連れて帰ったのです。

職場の近くで病院に連れて行って、お風邪の薬をもらいました。
そのときから、看護婦さんとかにも可愛い可愛いと連発されていました。
風邪でぐちゃぐちゃの顔なのにです。

次の日、雪ノ下と名前を付けました。
雪乃丞とどちらにするか悩んだのですが、響きで雪ノ下にしました。

結局お鼻はあんまりよくならなくて
寝てるときや興奮するときにぶひぶひ言いました。
それがあんまりにも可愛くって
よく鼻にちゅーちゅーして嫌がられました。

いつも暖かい子でした。
体温が高すぎて心配になったほどでした。
寝ている私の胸の上に置くと
ぶーといいながら、すぐ胸の上で横になりました。

楓には一回も威嚇もされずに
かけっこして噛まれて舐められて一緒に寝ました。
ヨダレは、孤高の猫ですから、近寄らせてくれませんでした。

1kgを超えた記念に
先週からお留守番中もゲージから出し始めたばかりでした。
猫じゃらしの動きについていけなくて、尻餅をついていたのに
木曜日(8月7日)からジャンプして食いついてくるようになったばかりでした。

楓が小さいときに買った
うちに唯一ある小さなキャットタワーの一階で寝るのが好きな子でした。
金曜日(8月8日)の夜、寝てるときに変な音で目覚めたら
キャットタワーにジャンプ後
一生懸命よじ登っていく雪の姿がありました。
キャットタワーによじ登れるようになったばかりでした。

おじいちゃん(よだれ)のお皿からご飯を盗むのが大好きな子でした。
楓と一緒に茹でたささみを食べるのが好きな子でした。
お布団を敷くと、真っ先に駆けて来てど真ん中で寝るのが好きな子でした。
ママとパパの側で寝たがった子でした。
つぶれるから駄目よ、そう言って、いつも楓と寝させていました。

8月の9日に
押入れの中で落ちてきた雑誌の束に潰されてしまいました。
一瞬で行ってしまいました。
小さい子でした。
暖かい子でした。

奇跡みたいな可愛い模様で
まん丸のお目目で、やんちゃで元気でめげない子で
たまに鳴く声が、とてもキュートな子でした。
可愛かったんです。すごくすごく。

私の大切な大切な、見詰め合っていると
目の中に突っ込んでくる指も可愛い、息子でした。


男の子で、二ヶ月ちょっとでした。
ようやく「ゆき」と呼びかけると
「ん?」って顔で振り返り始めた頃でした。


今はもう私の胸の中にいて、私に発見されるのを待っているんだと思います。
彼と二人で探します。


..2003/08/11(月) 17:06 No.76





 ◆ 福桃様と福麻呂ちゃんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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6年も前のことです。
猫の泣き声が聞こえたような気がしました。
商店街なので、交通量も多いし、
迷い猫なら、危ないと 探しに行きました。

裏の非常階段のダンボールの上に、小さな小さな白猫がいました。
子猫は、威嚇しながら逃げます。
追いかける私。当然追いつかない私。

隣のお店のママが、飛び込んできた子猫をエプロンに巻き込んで
「どうしよう!どうしよう!」って騒いでいる所に、
やっと 私到着です。


ダンボールに入れました。
おお暴れ、威嚇しまくり、
静かになったので、覗くと「シャー」
その時血尿を発見、すぐ病院へ、
3日入院させて、原因は分からないまま連れ帰りました。

こんなに小さくて、血尿しても生きている、それだけでうれしかった。
名前は「ブランサン・ミー」
ブランサンって真っ白って意味だそうです。
ミーは病弱で、病院に通いました。
完全室内飼にしているつもりが、すきあらば家出です。
でも、大きな声で呼ぶと、飛ぶように駆けて帰ってくるのです。
可愛かった。


交通事故でした。
まだ1歳にもなっていないのに。
泣いても 泣いても 涙って出るんです。
もう一度だけでいいから
抱きしめたい、触りたい、合いたい。


3カ月が過ぎ、ミーがいないことに慣れ始めた頃、
「頼まれたんだけど、どこかに貼ってくれない?」
友達が、里親募集の手作りポスターを持ってきました。
真っ白の子猫です。
ブランサン・ミーちゃんが、私のところに戻って来てくれたのです。


それが福麻呂です。
ポスターは、一度も貼られること無く、私の宝物になりました。


..2003/06/29(日) 11:55 No.75





 ◆ yukiyo様とれもんくん&いちごちゃんの出会い    ++ にゃぐ [URL]  

 
 
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それは2002年7月4日のとても暑い日でした。
帰宅した息子が「捨て猫がおったよ」と言うので
水とダンボール箱を持って見に行くと
汚れたダンボール箱の中にウンチまみれの子猫が2匹入っていました。


白い子(♂)は体中にノミをたくさんくっ付けて
ミーミーと元気に鳴いていました。(この子がれもんです)

でも黒い子(♀)はピクリとも動かず体もペチャンコで
かなり衰弱しているようでした。

そのまま2匹を病院へ連れて行き(生後一ヵ月半位と言われました)
一応の手当てをしてもらい
不安ながら家へ連れて帰りました。

黒い子猫が少し元気になった時
2匹を一緒にしてやると
れもんは嬉しそうにじゃれ付いて
あんまりきつく抱きついたりするので
心配でむりやり離したことも・・。

私の膝で2匹仲良く眠った事もありました。
やっぱり兄妹なんだなぁって思ったものです。


黒い子猫の世話ばかりしていて
れもんはほとんどケージに入れっぱなしで
ほったらかしにされていましたけど
いつの間にかトイレも覚えて
ひとりでお昼寝したりしておりこうさんでした。

拾ってから1週間めの朝方に
黒い子猫はれもんを残して
天国へ召されていきました。
その子には『いちご』という名前をつけてたんです。
うちは果物シリーズですものね(単純・・)

れもんはりんご姉たんと遊び
モモ兄ちゃんにくっ付いて眠り
(モモは眠い時以外はいつもれもんから逃げてました・笑)
ヒョロヒョロだった体も
どんどん元気に大きくなっていきました。
今では甘えん坊のいたずらっ子・・やりたい放題です(汗)
これからもいちごたんの分まで
幸せに暮らしてほしいと思います。


..2003/05/28(水) 13:16 No.73





 ◆ ちょっこ様とモモコちゃんの出会い    ++ にゃぐ [URL]  

 
 
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1999年4月29日に
都内某公園で主人の会社主催のBBQ大会が行なわれました。

お腹も一杯になり
子供たちとのゲームなども終わり
ちょっと席を離れた私が戻ってみると

当日たまたま連れて行った姪っ子と主人の姿が
向こうの方でなにやら…数人の子供たちに囲まれていたんです。


行ってみると、姪っ子の胸には、可愛い子猫が〜
私「どうしたのこの子?」
姪「この子、貰って帰る」
私「ママに怒られるよ〜犬も居るんだし」(ママは犬派)
姪「だったら〜お姉ちゃんが飼って!!」おねえちゃん=私

そこで、主人が
「この子を家で飼おう」
と、言うことで
箱を貰ってモモコを連れて帰ってきました。


この日からモモコは我が家のお嬢になりました。
怪我してたし、3週間目位だったこともあって
死んじゃったらどうしよう〜なんて
おっかなびっくりの毎日でしたが、

あの時から私たち夫婦は猫ちゃんのとりこになりました。


..2003/05/24(土) 14:16 No.72





 ◆ まり様とお嬢ちゃん&富士ちゃん&銀君の出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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2001年、初夏。
テレビでは「大阪児童殺傷事件」のニュース。
「通院歴」というのは、何故「精神科」を意味するのでしょう。
私を軽く鬱にさせたのは、マスコミのほうでした。


そんな週末に、夫はとんでもないものを持ち帰ってきました。
推定生後1ヶ月未満、銀色の体、ニーニーと鳴く子猫です。
話によると、会社に4匹子猫が捨てられていたのだそうです。
どうせなら2匹以上連れ帰って欲しかった・・・・。

仮名「銀ちゃん」を先住猫ひめは激しく拒絶しました。
銀ちゃんも、ひとりぼっちにされて夜は一睡もしませんでした。
翌日、前日からの鬱と重なって
子猫の将来を悲観してばかりの私に限界が来て
会社の空きプレハブに一歩はやく猫を戻しました。


月曜になって、計3匹戻され
夫は毎日家を早めに出て世話をしました。
週末は、1日に3〜4回世話に通いました。


7月、プレハブの暑さはこたえるだろうと
3匹はうちに来ました。
私はとても前向きな気分で、その猫たちをむかえました。
それが、黒猫「お嬢」と黒白「富士」、
そして里子の銀ちゃんです。

銀ちゃんは、私の友人の家で名前をかえ大事にされています。
いまでは、乳母がわりだった夫を見ると、うなります(笑)。
もう1匹は、最初の週末をすごしたお家にずっと居ます。


..2003/03/29(土) 10:21 No.62





 ◆ まり様とひめちゃんの出会い    ++ nyagucat [URL]  

 
 
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1999年、私たち夫婦のアパートに
近所の猫が遊びに来るようになりました。
秋になり、雪が積もったらあの猫は来てくれないだろうと思いました。


11月の晴れた日、何年も行っていない親戚の家に行きました。
家の中に、大きな犬が2匹。
外には子猫たちがチョロチョロとしています。
何日かして、私ひとりでそのお宅にうかがったとき
「良かったら、庭の猫を1匹くださいませんか」
と話のついでのように言いました。
夫に相談もせず、でも、考えた末、プラス衝動で、口走ったのです。


叔母は驚きながらも
「それなら、ひめちゃんが良いわね」と。
「ほかの子はノラの子で全然懐いてないけれど
ひめちゃんは私が育てた子だから」

おじいさんが「ひめなら呼べば来るんだ」
と庭に出て猫を呼びます。
トコトコやって来た猫は
白地にシャボン玉模様の茶と黒が入った三毛。

おじいさんは
「かわいいだろう。でも、しょっちゅうおならをするんだ」
と教えてくれます。

叔母は、何度も私に
飼えなくても絶対捨てないで返して欲しいと言いました。
その猫がベッドにしていた毛布と
大量のフード、爪研ぎセットが嫁入り道具。


私の車に、箱に入った猫を乗せるとき
叔母は少し涙ぐんでいるようにも見えました。
私も一度その猫を抱いてしまったからには
もう後にひく気はありません。
何度もお礼を言い、連れて帰りました。

それが、名前の通り育った我が家の「ひめ」でございます。
彼女が来て、私たちの話の大半は猫のことになり
生活は満ち足りたものになりましたとさ。


..2003/03/29(土) 10:09 No.61



 


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