| | 2010年8月14日の納涼OB会は盛大に開催され、何十年ぶりかの懐かしい顔とも再開しました。 幹事の方々のご苦労に感謝します。その席で話題となりました無料定演はどの様にして始まったのか、当時の事情を知るものとして、私が見た事を思い出しながら記載してみます。
1.当時の課題 68年(昭和43年)入学組の幹事長として私は、70年の第6回定演の運営を支えていました。 混乱した政治情勢等色々課題もありましたが、当団にとって歴代の幹部が抱えていた最大の問題は、楽譜通りの演奏するには技術も重要ですが、その前に楽器が種類も量も不足していた事です。原理的に作曲者の意図を表現できない、指揮者の要求に答えられない、その事に悩んでいました。解決方法はお金を集める事、この点に考えがフォーカスされていました。少しづつですが、自分で楽器を買える人も出て来ていました。しかし、その時の唯一のテナーサックスの様に出ない音がある楽器や楽譜にあっても全く持って無い楽器も多々ありました。
そのため、前幹事長の神屋博氏時代には、伊藤知俊氏が大学のクラブ予算を管理している文化総務の委員長となりました。委員長の職務ではあるが各クラブが嫌がっていた雑用をこなしながら、予算会議では高価な楽器を購入する必要がある当クラブ等に重みを付け公平に予算配分を行う様交渉しました。その後を平野武文が踏襲しました。クラブ予算はかなりの金額でしたので、その甲斐があって当団の予算額は楽器を購入できる水準になりました。また 全員でビルの窓ガラス拭きや掃除、砂糖工場の荷運び等のバイトをやり、月額の部費以外にそこからも数日分の額を徴収しました。更に、第6回定演に先立ち、指揮者和泉正史の故郷下関で第1回公演をおこないました。これは、下関市民会館が満員になる盛況で、定演とあわせてその収入が倍になりました。これらの成果によりこの前後で、テナーサックスを買い替え、新しくチューバ、バストロンボーン、バスクラリネットそしてオーボエを導入できました。皆は上田俊彦君が吹き始めたオーボエの音色を聞き、新しい世界の広がりを感じて肩を叩き合って喜びました。 2.無料定演の提案 新しく一歩を踏み出す事ができたので、次の幹部は当然我々の道を歩んでくれるものと私は思っていました。ご存知のように定演後に2年生が相談の上、新幹部体制を提案します。次期69年組からの提案は、@幹事長は幹部4人福田順一君、山本隆生君、山崎恵君、井上泰行君の集団指導体制にする事、A定演を無料化する事、を前提に幹部を引き継ぐ、と言うものでした。我々も、その話を後で聞いた4年生も、えっ? 絶句しました。集団指導は運営方法ですから、まあ、自分達の問題です。しかし、定演での収入なしでは運営が出来ないと瞬間に感じました。我々のやってきた事を全否定された気もしました。彼等の主張は、《純粋な音楽としての吹奏楽の確立》と《吹奏楽の市民への幅広い普及》という目標のもとに活動しているのに、定演で金を取って商業化しているのは矛盾ではないか、この目標掲げているを以上無料定演しかない、と言う強い意思表明でした。有料チケットを友達に押し付けて、それで演奏会を開くのは自分達の本意ではなく、普及の役にも立たないと。
それから部の運営方針や目標に対する考え方に関し激論が始まりました。何回話合をしたか覚えていませんが、受け入れられるまでにはずいぶん話し合った気がします。 「そんな理想ばかり言っても、収入が無くてどうやって開くんだ。」 「無料でやって、何人聞いてくれるんだ。」 「楽器が買えなければ演奏も出来ないじゃないか。」 「無料定演なんてどこもやってない。」 「先輩が築き上げてきたものを破壊するのか。」
旧幹部、我々の思想的背景は第6回定演パンフの《九大吹奏楽団の原点を求めて、悲しきジプシー汝の故郷は・・(執筆者名はありませんが平野武文です。)》、に記載してあります。学園紛争時代の政治状況と考え合わせて見ると、当時の雰囲気を良く伝えているものと思えます。きわめて内省的に市場経済の中での自己発現が直面する矛盾を提示し、当団の基本方針を考察してします。現状の団の音楽水準と商業化された定演への反省から、求道者的に自己主張の場を模索しています。この思索から解決の道を現実化したのが新幹部の方針だとも言えます。しかし、現実に市場経済に逆らって、求道者の道を歩む者には大きな困難が立ちふさがる事が目に見えています。
我々現実派は説得しましたが新幹部は意見を変えず、最後は69年組が第7回定演を責任を持って開く事を約束して、無料定演はなんとか合意されました。上級生の間では、困ったら上級生全員で支援する覚悟で、じゃあやらせて様子をみようとなりました。
3.今振り返って 1971年は第7回定演も含めて、69年組の頑張りと先輩達の応援で成功して終わりました。そして、我々は無事に卒業しました。一部の方は心配でその後も留まって支援しました。その数年後にも、まだ無料やっているんだ頑張っているね、とかの情報交換をしていました。しかし、遠くの空の下で暮らす身では認知の空白の時間ができてしまいました。つい最近この無料定演が40年続いており、当部が盛況であるのを知り、本当に驚いてそして感激しています。 福田君、山本君、山崎君、井上君等の世代が始めた無料定演は、九大吹奏楽団の正しい方向だった事が証明されました。 考えるに、我々のは有料と言っても実情は友達や親類縁者を頼って販売していたのが過半だったかと思います。オケやマンクラと定演チケットどうしを交換したりで、結局は自分のお金で200円x20枚分位を負担していたと思います。良く覚えていませんが、部費2年分位ではなかったかと。学費が年6000円から9000円になった頃で、月1.5万円〜2万円で生活していたので結構な額でした。しかし、結局自分で負担するのなら、苦労してチケットを販売するより、自分で楽器を買ったりしてお金を出し、演奏活動に集中して、定演には音楽好きや知り合いに無料チケットで広く来て頂くと言う事だったのでしょうか。無料定演が自己表現に最適であり、高度成長時代の中で、時代の流れに合致したのは確かです。 奇しくもこの第7回から、学生指揮者の水準を乗り越えるべく議論をしていた外部指揮者の招聘が実現しました。以前から和泉正史が準備を進めてきた三好先生に正式に指揮をお願いし、同意頂きました。ただ、無料の話を聞かれた時は、三好先生も相当の覚悟をされたご様子でした。金の無い当部ですからお礼も出来てなかったと思います。先生の情熱が無料定演を支えたもう一つの柱だと考えています。感謝にたえません。
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