| | 機関紙0号には林幹夫氏の入部時の思い出も書かれていますので、抜粋してみます。
九大吹奏楽団とともに歩いた4年間 林幹男 ・・・・・・・・・・・ 私がこの楽団に入った4年前・・・それは今日の状態からは想像も出来ないほどのおそまつな楽団でした。入学式直後、初めて練習に参加した時の印象は今なお忘れることができません。学生会館ホールの片隅に五〜六人が楽器をもち、一人が棒を振っていました。これこそ「細々と」という表現につきるし、まったく寒々とした印象を受けたものです。この時ほどあのホールが広くおもえたことはありません。丁度新入生のオリエンテーションのための練習をしていました。曲は室内アンサンブルかと思ってみると、「旧友」、「学生王子序曲」・・・途方にくれない方が不思議なくらいでした。もっとびっくりした事は、いざ演奏会当日、それも楽屋に集合する頃、今まで見たこともないような人たちが続々と集まり、いつの間にかステージでは二十人に近くなったことです。あきれたり、驚いたり・・・このときが私の九大生としての最初のステージでした。
以来しばらくこの有様でした。指揮者もさぞたいへんだっただろうと同情したくなります。高校まで、四十人近いメンバーでかなり大曲を練習し、演奏を楽しんできた私とっては、どうも期待はずれのようでした。五月末だったと思いますが、「退部届」をだしました。しかしその時、指揮者や部長からいろいろ暖かい忠告をいただき、自分でも「この楽団をよくするのは自分たちではないか。逃げてはだめだ!」と思うようになり、それ以来、やめようと思ったことがとても恥ずかしくなりました。 そうはいうものの、シュトウルム・ウント・ドラングの時代は以前と変わらず、せめて部室でもと部室獲得闘争は真剣でした。私の教養部時代の唯一の有益な結果をもたらした仕事になったようです。
以下省略
所感:書かれた方々の了承も得ず掲載していますが、歴史的文化遺産でもあり、また、発行された公文書でもありますので、許されることだと考えています。当時の部室図面がありましたので添付します。オケやマンクラは九大xxとなっていますが、吹奏楽部には九大がついていませんね。1階の階段脇で出入りに都合のいい場所でした。
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